日々の身繕いでイツノマニカ体内に生成される毛玉のハナシ


by neko-dama
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サヨナラまた会う日まで。

土曜日:円山の枝垂桜を観にいく旅 最終日 ~別れ編~

4人で朝食を食べる。日野での、最後の食事。
朝からそんなに食べられるわけじゃないのに、テーブルには20皿ほど並んでいる。
何事も過剰な母なので、料理の品数も過剰というわけだ。
てゆーか、いろいろヤリカケのまま、母がいない。
お継父さんに聞くと、みつば採取に行ったという。

ははーん、さては味噌汁に入れるのだな。
でも、もう味噌汁注ぎ分けちゃった。
裏庭に母を呼びにいくと、血眼でみつばを採集中だった。高笑いして戻ってくる。
そして、食卓の各自の味噌汁に、掌いっぱい一握りずつのみつばをぶち込む。
ものすごい量のみつばを盛られた私達は、その過剰さに、そんなにいらない・・・と小声で抗議。
母は、当然笑うだけ。気にもせず、どばーっと投入。

そんな切ない朝食を終えて、いよいよ日野の家を後にするときが来た。
琵琶湖線 近江八幡の駅まで車で送ってくれる。ここから電車で京都駅に向かうのだ。

近江八幡の駅につくと、お継父さんは車の中で、私達を見送る。
挨拶をすませる。
母は、改札まで一緒に来る。

過去に2回、滋賀に来たことがある。そのとき母は、ロクデモナイ前の旦那さんと暮らしていた。
そして私が帰るときは2度とも、改札の向こう側で見送りながら、涙を堪えて変な顔になっていたのだ。
結局泣いて手の甲で涙を拭いながら笑っていた母を思い出す。

自分がオトナになって、母のオンナの部分を理解することができて、それを受容れることができたとき、私は初めて母を許した。
母をキライでなくなったのは、19の頃。それまでは大嫌いで憎らしかった。

19の頃、私は当時の彼のアパートに転がり込み、一緒に住んでいた。逃げ込むように。
優しい彼だった。彼のおかげで、愛することと愛されることと、それによるシアワセを知った。
だから、彼のおかげで、母を理解することができた。
母の人生、いろいろあったのだろう。
男の人に愛されていないと、きっと不安だったんだろう。きっと、頑張れなかったんだろう。
今は、可愛いヒトと言える。好きだと、感謝していると。
でも19までの自分は、こんな日がくるなんて、思ってもいなかっただろう。

2005年4月、改札の向こうの母の姿は、満面の笑み。
やっと、優しい旦那さんに出会えたね。楽しんで生きてください。
ママ、そしてお継父さん。

~京都巡り編へ続く~
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by neko-dama | 2005-04-15 00:06 | 猫のお出かけ