日々の身繕いでイツノマニカ体内に生成される毛玉のハナシ


by neko-dama
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珍客。

私には、2つ上の兄がいる。

私が6才の頃、両親が離婚し、母子家庭で育った私たち兄妹。
母の恋人とも同居していたが、私たち兄妹にとって彼の存在はとても微妙なものだった。
だから、兄妹ふたり、絆が強かったのかもしれない。
兄は、私の面倒をみたり、一緒に遊んだりして小さい頃は仲が良かった。

でも、私が小学校4年生から3年間、全寮制の施設で生活するようになり、
兄も高校生になったら全寮制の高校に入ってしまったりで、
一緒に住まなくなった。
そして思春期の照れなのか、あまり話すこともなくなっていった。

そして、時はどんどん経って。
私が大学2年生になり、
母は離婚後(たぶん)二人目の恋人と壮絶に別れた。
兄は高校入学以来ずっと寮で生活し、このときはもう働いていて独身寮に入っていた。

家族のバラバラさ加減が一層強まり、
私は、当時の彼氏のアパートに転がり込み、家には寄り付かなくなった。
夜通しバイトして、朝1,2時間仮眠し、大学に通い、夕方2、3時間仮眠し、また働いた。
学費と生活費を稼ぐのにいっぱいいっぱいで、
同居の彼に「最近Pちゃんの寝顔しか見てないな」ってぽそっと言われて
切ない思いをしたりしていました。

そして、その頃母は、もう恋はたくさんとばかりに、再婚相手を探し始めた。
今後の生活の安定を何よりも重視し、お見合いを繰り返した。
何人かとは、うまくいきそうになって、別れて。
そうして、やっとシンガポールに勤める人と、結婚を前提の付き合いをするようになった。
だから、観光ビザで1ヶ月シンガポールに行っていたと思ったら、
家に帰ってきて、また1週間もすると機上の人となった。

当時住んでいた家は、母の念願の一軒家。
足りない頭金を出してくれた足長おじさんのおかげで、郊外に一軒家を持つことができたのだ。

そんな家の状況を見て、
寮生活の兄が、家に誰もいないなんて無用心だろう、と家に住むことになりました。

私がたまに家に寄ると、今ではすっかり無口で、疲れた顔の兄と会うこともあった。

また少し時が経ち、
私は大学を卒業して働いて、1つ下の彼氏が就職活動も落ち着き、同居したアパートを引き払うこととなった。
彼は会社が始まるまでは田舎に戻り週に1回くらいコチラに出てくる。会社が始まってからは寮生活。
私は、家に戻った。

家に戻ると、兄と二人暮らしだ。
たまに母が帰ってくる。
兄とは、思春期以降すっかり疎遠で、ぎくしゃくとした関係だ。
兄にしてみれば、私は好き勝手やっていてワガママに映っただろう。
私にとって兄は、気難しくて神経質で、自分のスタイルを押し付けてくるウザイやつだった。

兄と二人の暮らしは、窮屈で苛立ちを禁じえない、いやなものだった。
会話も事務的なことのみ。
炊事・洗濯はそれぞれが勝手にやった。
(兄のスタイルでやらなくては口うるさいので、私は私の分しかやらなかった)
掃除は、兄のほうがきれい好きでマメなため、ほぼ兄がやっていた。
私は、家にいるときは、なるべく自室にひきこもって過ごした。

そうして、また時が経ち。
現在は、私はアパートを借りて気ままに暮らしている。やっと3年目だ。
母は、シンガポールの人とは再婚したものの、5年ほどで離婚し、
今は滋賀県で再々婚してのんびり暮らしている。もう4年目だろうか。

兄は、気ままな女性陣から解放されて、いまは家にヒトリ住んでいる。
35歳、独身、家付き、車もち、親ナシ。

その兄から、今晩珍しく電話があった。
兄が私に電話をくれるのは、家をでてから初めてか、2度目か。
何かと思ったら、私宛にメール便が届いているから、今から届けに来るという。
実家と私のアパートは、車なら10分ほどの距離なのです。

兄と会うのは、久しぶりで。
緊張する。

冷蔵庫に残っていたアップルマンゴーを切って、出す。
冷たいものは野菜ジュースしかない、というと、水で良いと言う。
先月買い換えた車について、ルノーとメガーヌ、メガネ、などと話をする。
仕事は来月から休めないほど忙しい、と顔をしかめてみせる。

すると。
あ!郵便物を忘れてきたよ!
と、兄。

フフ、まぁいいか。

小1時間、兄との時間がもてて、
私はなんとなく、微笑みながら車を見送った。
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by neko-dama | 2006-08-04 23:49 | その日暮らし