日々の身繕いでイツノマニカ体内に生成される毛玉のハナシ


by neko-dama
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カテゴリ:猫の図書館/美術館( 37 )

『宇宙の果てのレストラン』

原題:"The Restaurant at the end of the Universe"
著者:Douglas Adams 安原和見・訳
河出文庫 4刷2008年5月10日 (初版2005年9月20日)
※新訳で復刊したもの。絶版となった旧訳は1983年新潮文庫から訳者=風見潤。

1作目の感想⇒『銀河ヒッチハイク・ガイド』読んだ。

ということで、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の2作目読了。
1作目で広げた風呂敷をきれいに馬鹿馬鹿しく折りたたみました!という見事さ。
1作目だけだと消化不良感が残るけども、ここで漸く一段落着いたなと思うカタルシス。

ナンセンスSFコメディはそのままに、終盤は禅問答のような場面もあって哲学的でもある。
しかしまあその全てを吹き飛ばすようなラストは明るく前向きで、イマを楽しむ以外に人には何も出来ないという諦念のようなものも漂っている。
1作目よりも、この2作目のほうがより好きだ。この無常観と気楽さの同居!

タイトルに“宇宙の果て”とあるが、これは隅っこという意味の比喩的な表現ではない。というか、私はそう思い込んでいたのだが、違ったのでヤラレタ感があった。
これは字義通りに“終わりのとき”なのだ。英語でも日本語でも、どちらともとれるニュアンスの言葉をうまく使ったってことだろう。

今回は時間旅行についての立場が明記されている。
“歴史はジグソーパズルのように各ピースがはまりあってできるものだから、なにがあっても変化したりしない。あるものごとを変化させるために、過去に戻って重要な変化を起こしたとしても、その重要な変化はそのものごとが起きるときにはすでに起きたことになってしまっているわけで、すべては結局収まるべきところに収まるのである。” (p138,L7-11)

これ以上に納得のいく説明はないやね。
そしてそれがこの作品を大きく包み込んでいる、ひとつのテーマでもあるようだよ。

あと、読みながら英語の原文を想像すると、より楽しく読める。
原文では言葉の響きや、似た言葉とのダブル・ミーニング、言葉から想像されるイメージといったものが匂いたつ文章に違いないから。いっそ原書に手を出そうか、と思わせるほど言葉遊びが巧み。
でもほら、読むべき本がたくさん溜まってるから、原書に伸びた手はおずおずと引っ込めるんだけどね。

3作目⇒『宇宙クリケット大戦争』読んだ。
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by neko-dama | 2008-11-18 14:34 | 猫の図書館/美術館

14へ行け。

なんだか今月中に出るそうです。

J.H.ブレナンのゲームブック新訳版、シリーズ3作目の『魔界の地下迷宮』が、です。
嬉しや、嬉しやのぅ!

って、ゲーム・ブック自体がもう旧時代モノという気がしないでもないですけど。
なんか、あの曖昧さとかが好きです。自分に優しいルールを適用してみたりとかな。
小・中学生の頃は熱中して一人遊びしとりました。

兄はFFシリーズ揃えてましたけど、私はブレナン一筋。ブレナン以外のゲームブックを面白いと思ったことがほぼないよ。
ブレナンさんの何が素敵って、英国風の妙な語り口なわけで。あの小憎らしさとユーモアの虜ロールよ。
あとアーサー王物語がベースなので、アーサー王大好きな私としましては愉快なわけです。

そんなわけで、ついついこの新版シリーズを購入してしまうのです。
やっぱ面白い。
こんなときは、小学生に戻りたいなぁなんて無益なことをホワホワと考えてしまったり。
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by neko-dama | 2008-11-17 19:01 | 猫の図書館/美術館
『銀河ヒッチハイク・ガイド』

原題:"The Hitchhiker's guide to galaxy"
著者:Douglas Adams 安原和見・訳
河出文庫 7刷2007年9月20日 (初版2005年9月20日)
※新訳で復刊したもの。絶版となった旧訳は1982年新潮文庫から訳者=風見潤。

ダグラス・アダムスのSFコメディ・クラシック。超ブラックでシュール。壮大にして無意味。
英国の遠まわしな笑いが好きなら楽しく読めますよ。私は面白かったです。
モンティ・パイソンを楽しめる人向きで、ナンセンス・コメディがわけわからんと立腹してしまう人は読まないほうがいい。
できればこれ、学生時代に読みたかったなぁ。

序盤の、アーサーの家が取り壊される危機と地球消失の危機が呼応した場面なんかウマイ!
地球が一瞬にして破壊されるのも非常にあっさりとしていてブラック。
銀河系の豆知識や歴史や社会背景も、折々いちいち説明されるのが楽しい。
そのあたりは沼正三の『家畜人ヤプー』みたいだ。あれほど詳細ではなくシツコサもない分アダムスに軍配は上がるが。

これが元々はラジオドラマだったというから、よくわからない。想像がつかないなぁ。
とにかく、まあ、それを小説という形にしてみたらヒット(1979年)。
して1981年にはテレビ・ドラマ化されたとか。そのDVDが出てるらしいよ、日本でも。
んでこれ、2005年に映画化されたのよね。未見なので「見なきゃリスト」に加えた。

このシリーズは5巻刊行されているので、残り4冊を引き続き読み進めます。
著者は2001年に既に他界しているのでこれ以上の続編は望めないけれど。

2作目⇒『宇宙の果てのレストラン』読んだ。
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by neko-dama | 2008-11-11 11:42 | 猫の図書館/美術館
『神と科学は共存できるか?』

原題:"ROCKS OF AGES -Science and Religion in the Fullness of Life"
著者:Stephen Jay Gould 狩野秀之/古谷圭一/新妻昭夫・訳
日経BP社 初版2刷2007年11月19日 (初版1刷2007年10月1日)

ダーウィニストの著者が、他界する3年前にあたる1999年に出した本。
“科学と宗教の争い”というのは作られた誤ったイメージであるとし、その歴史を紐解く。

『ダーウィン以来』を始めとする進化論的エッセイで人気を博していたグールド先生だが、本書は極めて異質だ。
本書では、いつもの楽しい進化論的な生物の習性を知ることもできなければ、センス・オブ・ワンダーを刺激されることもない。
何度も、あらゆる側面からただひとつの同じことを言っているだけ。
すなわち“NOMA原理”(非重複教導権の原理)を懇切丁寧に語るのみ。

引用:敬意をもった非干渉― ふたつの、それぞれの人間の中心的な側面を担う別個の主体のあいだの、密度の濃い対話を伴う非干渉―という中心原理を「NOMA原理(Non-Overlapping Magisteria)」
としている。

科学に可能なことには限界がある。宗教もまた然り。
だから、それぞれの縄張りには干渉せず認め合おうよ、っちゅーことですな。

しかし、なんていうか、宗教色の薄い国に住む私たちにはアタリマエ過ぎてつまらない話だ。
そのアタリマエを延々と切々と語られても、面白みがない。
第3章で述べられる対立の歴史的事実については興味深く読んだので、第3章だけを読んでも良いかもしれない。
あと、訳者3人がアメリカの現状などの解説を書いている。本の後ろ1/3ほど!多い!
この解説が本文よりも面白いのだ。
本文を読む前に解説を読んでおくほうが理解がしやすいでしょう。

読み終わって思ったこと。
やっぱりアメリカっておかしい国だなぁ。大丈夫なのか。
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by neko-dama | 2008-09-30 10:37 | 猫の図書館/美術館
話には聞いていたSF、ジョン・ウィンダムの1951年の作品『トリフィド時代』を読んだよ。

原題:"the day of the triffids"
著者:John Wyndham 井上勇・訳
創元推理文庫 7版1968年 (初版1963年)

舞台は英国。(著者も英国人)
緑色の美しい光が夜空に広がった、その翌朝。
目覚めてみると人類は盲目になっていた。
緑色の流星群を偶然見なかった少数の人たちは盲目にならず、生きる道を探ることになった。

そんな中、良質な植物油抽出用に育てられていた3本足の植物―トリフィドの動きは活発になり盲目の人々を襲う。
トリフィドは全世界に生息している歩行型植物であり、毒のある鞭をふるい腐肉を食らう。
世界が平常だった頃は、毒鞭を切り取り、動き回れないように足かせをつけることでうまく管理し、その恩恵に与っていた。
しかし、トリフィドは自分達の大いなる活躍の場に気付いたかのように猛然と盲人達を追い回す。

盲目となった人類に助けは来るのか?
目の見える少数の人類はどのように命を繋ぐのか。
トリフィドとの闘いは?


というようなお話でございまして。
大変面白かったです。
静かに幕を開ける主人公のある一日。
異常な街の雰囲気。 絶望から命を絶つ人々。
それをただ見ているしかない主人公。

トリフィドの謎に包まれた出自、主人公が推測する緑色の流星群の正体。
謎の部分はすっきりとは解決されず、それでも人類が自分達の首を締めたのだろうことは提示される。

トリフィドとの闘いもさることながら、やはり人間同士の争いに主眼が置かれている。
大多数の盲目の人々と少数の目の見える人々の争い。
目の見える人々の中でも思想の違いから対立が生まれる。
何が正しくて、何が間違っているのか。
それは勿論、誰も正しくはなく間違ってもいないのだ。
必死に生き延び、人類を建て直そうとする限りは。

面白いのが、「きっと今にアメリカ人が助けに来てくれる」というフレーズ。
こういうときばかり頼みの綱にしてる!

静けさが支配する序盤からコロコロとどんどん話が進んでいき、
二転三転しながらの主人公のサバイバルは最後まで波乱含み。
SFパニックもの好きにはオススメの一冊。
映画『28日後・・・』好きにもオススメです。

ただ、絶版のようなので、図書館とか古書探しするしかないんだけど。
改訳してまた出版してくれないかしらねぇ。
(古いので、例えばソルトレイクシティーがソートレーキシチーになってたり、めくら、めあき、片輪などの言葉が使われています)
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by neko-dama | 2008-09-09 16:28 | 猫の図書館/美術館

山岳コミック。

『岳』の新刊が出てるよって、友人が教えてくれたので、さっそく買って読んだ。

毎回つい目が熱くなるので、恥ずかしいから一人のときに読むようにしている。

主人公、三歩は山ん中にテント張って暮らしている。
山岳救助ボランティアと、クライミング・ジムのルート作成なんかをして生計を立てているらしい。

この漫画を読むと、必ず珈琲が飲みたくなる。

最近紅茶と煎茶ばかり飲んでいたなぁと、珈琲豆の缶を取りだす。
残りわずかの豆。
神保町の小さな倉庫みたいな店で買った美味い豆。

挽いて淹れて飲んでみると。

酸っぱくなっちゃった・・・。
あぁあ。冷凍しとけば良かったな。

酸味が強すぎる珈琲をチビチビやりながら、明日行く奥多摩のことを考えていた。
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by neko-dama | 2008-07-04 13:59 | 猫の図書館/美術館

ダーウィン以来。

『ダーウィン以来 進化論への招待』 
EVER SINCE DARWIN Reflections in Natural History
スティーヴン・ジェイ・グールド著
早川書房 1995年発行

進化論、ダーウィンのプロファイル、生物の歴史を紐解く。
オリジナルは1977年に発行された本。
なので、既に古くなった学説ばかりではある。
それでも、ダーウィンの考え方、当時の社会的背景を読むと面白い。

また、進化論にとって、カトリックとの確執はあれど本当の敵は宗教それ自体ではない。
科学の敵は非合理的なものの考え方である、とする。
まったく納得のいく考え方だと思う。

生物の進化は機械的ではなく、もっと複雑で予測しがたいものだ。
それが、読み進むうちにどんどんわかっていくのも面白い。

何よりも、ダーウィンは「進化」という言葉に「進歩」という意味をこめなかった。
より良くなる、のではなく、より環境に合ったデザインに変化していく。
その意味でダーウィンは「変化をともなう由来」という言葉を使っていた。
evolutionという言葉は数えるほどしか使わなかったという。
人間中心の、思い上がった見方で生物全体を見ることを嫌っていた、らしい。

改めて、ダーウィンはすごいなぁと思った1冊でした。

そろそろ地球上でまた大量絶滅とかあってもおかしくないよね。
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by neko-dama | 2008-07-03 13:27 | 猫の図書館/美術館
6月6日、氷室冴子さんが亡くなった。

淀川さんが亡くなったときと同じぐらいショックをうけた。
氷室さんの場合はまだ若かった(享年51歳)から、驚きという意味では淀川さん以上に。

私にとっては氷室さんといえば少女時代そのもの。
小学生から高校時代まで、めいっぱい読んでいた。
大学を卒業する頃にはすっかり新作を読まなくなっていたが、それは氷室さんが寡作になっていたからでもあった。
小説家人生の晩年にあたる90年代初め~半ばの作品は途中から読んでいない。
続き物の古代日本ファンタジー『銀の海 金の大地』や
エデンの東が元ねたの『冬のディーン 夏のナタリー』は完結したんだろうか?
平安ミステリー『碧の迷宮』は上巻だけを読んで、いつまで待っても下巻が出なかった。
結局未完のままだ。

氷室さんは少女マンガ的な小説を目指していた。
今ならラノベと言われそうだが、当時はそりゃぁ新しかった。
作風はドタバタコメディが多く、プロットがよく練ってあったのでエンタメとして最高だった。
そして確かな知識と、ぐいぐいと惹きつける筆致。

少女時代は、今で言う『信者』といっても過言でないほど大好きだった。
私が平安時代や古代(記紀の時代)や俳句が好きなのも氷室さんのお陰。
少しでも早く読みたくて、氷室さんが連載を寄稿していた小説雑誌『Cobalt』も買ってたよ。
季刊だったのが隔月刊になったのを覚えてる。
うん、今だったら完璧に『オタク』って言われるかもしれない。
根暗とは言われていたけど。

今でも本棚に、ピンク色の背表紙のコバルト文庫がある。
氷室さんの小説で特に好きなものを残して置いてあるのだ。
今読んでも、やっぱり面白い。

初期の『さようならアルルカン』や『白い少女たち』は繊細で古風で、ガラスの欠片みたいな小説だった。脆くて痛くて透明。氷室さんがリスペクトする吉屋信子系統。
まだ少女マンガ的コメディ路線が確立する前の作品たち。
繊細路線では他に『海がきこえる』や『なぎさボーイ』『多恵子ガール』があった。
どれも思春期の男女が主人公で、切ない青春の匂いが香ってくるものだった。
とりわけ『白い少女たち』の絶望感とやさしさと残酷さとほのかな希望のミックスは好きだ。

その繊細さと少女マンガ的コメディが融合した『シンデレラ迷宮』『シンデレラミステリー』は本当に泣きながら読んだ。名作!
本の世界(というか自分の内なる世界)に逃げ込む少女の話で、登場人物の魅力あふれる作品。
ジェイン・エア(奥方)、白鳥の湖のオディール(踊り子)、白雪姫の継母(お妃)、茨姫(姫君)など、よく知られた物語の人物が登場します。
語られなかった物語が展開され、どの人物も切なくてたまらないエピソードを披露する。
中でもジェイン・エアは、これがきっかけでブロンテを読んだんだった。

ドタバタコメディでは何と言っても『雑居時代』(上・下)が楽しい。
開校以来の才媛、才色兼備の完壁少女が主人公。この主人公の二重人格ぶりやら、いつも何かを企てては失敗してキィーっとなる展開やらが楽しい。
全ての作品を通じて言える事だと思うけど、他人を貶めたりする笑いではなく、自分が仕掛けた罠に自分がハマッちゃうような自虐の笑いなのだ。

他にも『なんて素敵にジャパネスク』シリーズや『ざ・ちぇんじ!』といった平安モノコメディ、映画にもなった『恋する女たち』などどれも面白い。
登場人物のユニークさ。そのユニークな面々が日常を過ごす描写。
変人を普通に受け入れる周りの面々。あるいは受け入れずに誤解したまま遠巻きにする人々の描写。
本を読む楽しさを育ててくれた、氷室さんの少女小説。

セルフパロディでもある『少女小説家は死なない!』では自分を客観的に笑い飛ばしている様子が清清しかった。
エッセイ集『いっぱしの女』や『東京物語』でもそのトーンは変わらず、自虐な笑いと呆れながらも味方な家族友人の話が盛りだくさん。

最近では辛口とかいって人を悪く言ったり貶めたりするのが持て囃されるけど、
そうじゃない笑いが、そこにはあった。

氷室冴子さんは、少女小説ブームという一時代を築いた作家さんでした。
90年代半ば以降、執筆活動をされていなかったとのことだけど、楽しく過ごされたのならいいなぁと1ファン(元・少女)としてはそう思うばかりである。
氷室さん、ありがとうございました。
また本棚から手にとって、少女時代を甘苦く想いたいです。
本棚からなくなってしまっても、心の中にしっかり残った結晶は消えることはありません。

またひとつの時代が過ぎていったように思う、昼下り。
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by neko-dama | 2008-06-10 16:05 | 猫の図書館/美術館
『イエスのビデオ』 Das Jesus Video 
アンドレアス・エシュバッハ著 平井吉夫・訳
(ドイツ・1998年)

ドイツ映画が好きで、機会があれば観ている。
で、ドラマ化された『イエスのビデオ』を観たことがある。
これはドイツで放送されたものから大分カットして纏めたものだったらしく、
話の繋がりがおかしかったり、あれこれ不自然に感じる部分が多かったにも関わらず面白かった。

そんなわけで原作読んでみよう、となった。
考古学とSFってことで、映画『タイムライン』(2003年製作)を髣髴とさせる。
(この映画は面白かった。B級的楽しみ方で。ちなみにジェラルド・バトラーa.k.a.ファントムが出ていて素晴らしく魅力的だった。)

タイトルが示すとおり、イエスを撮影したビデオをめぐる物語。
イスラエルの遺跡発掘現場で発見された"ビデオカムの取説"が謎を呼ぶ。
そこから本体のビデオを見つけようと必死になる幾人かの人々。

常にいくつかの視点が用意されているところが面白かった。
アメリカ人学生、イスラエルの学者兄妹、イギリス人の発掘団長、アメリカのメディア王、ドイツのSF作家、ローマキリスト教会・・・。
それぞれの思い、それぞれの思惑、理由。
誰が悪いとか、そういう話になっていないところが良かった。

'98年に書かれたことを考慮しても記録媒体が不自然なのと、
2000年間の自然充電にどうも違和感が拭えないのが欠点だけど。
(充電池は自然放電はしても、自然充電はちょっと信じがたい)
いっそのこと太陽電池にすれば良かったのになぁ。
あとプラスチックが2000年間で劣化しなさすぎだと思った。

そういったマイナスポイントはあるものの、ダン・ブラウンのようなエンタメ性もあって視覚的な文章が楽しい。文庫本上下巻で長いけれど、本当に面白いので長く感じない。スリルとサスペンスをお求めなら激しくオススメ!あとダン・ブラウン好きなら、きっと面白いと感じると思う。

読後の爽快感は素晴らしく、爽やかな感動がある。
そんなわけで、話としてはスッキリだけど、気持ちとしてはもやもやした。
信仰とはなにか。
それは心の内にあるもので、信仰対象と信仰者の化学反応みたいなものなのかもしれない。
何を見て、何を感じるかは各人によりけり。
私は最終的に、ドイツ人SF作家の視点に同調した。
話が信仰に偏りすぎていくラストを冷静に見つめる傍観者として。
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by neko-dama | 2008-03-07 16:36 | 猫の図書館/美術館
『ブラッド・ミュージック』Blood Music
グレッグ・ベアの世界系SF。(1985年)
エンタテイメントでありつつ、知的好奇心を擽られる良書。
生物学好きにはタマラン。細胞かわゆす!

知的微生物を作り出した科学者と、その微生物ひいては人類の行く末の話。
この科学者が本当ダメな感じでね、まったく感情移入はできない。
でも、しなくて良いんだと思う。
彼の友人である医者の方に感情移入するのが人として正しい在り方かもしれない。

中盤以降、舞台と登場人物が切り替わったりしながらグイグイ進んでいく物語に惹きこまれる。
映像が浮かぶような描写が多く、まるで映画を観ている気分になる。
知的生物の生みの親である科学者の母親が、非常にキャラ立ちしていて不思議に魅力的。
彼女の母性と魔術的雰囲気がこの小説のヌケになっていて、科学的・知的なだけではない暖かさを醸し出している。
(もう一人、スージーという女性が表す『守られるべき存在』といった要素も、進化への戸惑いや不安、個への執着をわかりやすく説明している。そこがまた暖かい。)

知的微生物たちの集団の意思が育っていき、現状を把握し未来を予測し破滅を回避しようと行動するあたり、人類となんら変わりはないなぁと思わされる。
いわゆる『神』となる科学者のヘナチョコさや身勝手さに拘わらず、知的微生物たちはどんどん成長してモノを考える。
こういった設定を私たちの世界に置き換えて考えてみると、とても楽しい。

結果として人類全体の問題ではあるんだけど、発端や事の進展はごく個人的な行為であるところが面白い。
ひとりひとりの血の通った人間の独断的行為が全体の流れを決めていく。
これは歴史を学ぶときにも思うことだけど、個人的な事情が優先される面白さ。
すべてが合理的、理屈に合うってわけじゃないよね。理屈で言えば間違ってるほうの道を選んだりする。
よく恋愛映画の感想で見かける「二人が惹かれあう必然性が感じられない」とかいうのが私は好きじゃない。恋愛はそういうモノだもの。理屈もなにもないって。
(文句のひとつも言いたくなる設定の映画は多いけどさ、確かに。)
それと同じで、作中人物が選ぶ道がいつも理屈に合っている必要はないなと思っている。
自分がそうだもんね。わけの分からないことをしてしまう。

閑話休題。

この物語の実質的な主人公は知的微生物(ヌーサイトと命名される)だろう。
個の概念が希薄な集合的意識、というか生体システムのようなもの。
彼ら微生物たちの透明な存在感と肉感の薄さ、生命感の希薄さと言ったら良いのか。
それは知的微生物という種が育っていくにしたがって、植物のように蔓を伸ばして生き生きと人間を捕らえていくように感じた。
さやかな音楽に包まれ、生ぬるいゼリーに包まれるような感覚。
(あくまで比喩的表現なので、そういうホラー話ではないよ!)
それがブラッドミュージックなんだろう。羊水の中に戻る、オーヴァーチュア(Overture)。
『2001年宇宙の旅』のテーマとも通じるものがあるように思う。

あと、ティプトリーの『たったひとつの冴えたやり方』に出てくる脳寄生体の小さな宇宙人をちょっと思い出した。
浅倉 久志さんの訳がラノベっぽくてすごかったな、あれ。 おお、おお、おお・・・。


関連リンク⇒交響詩篇エウレカセブン:ポケットが虹でいっぱい 【思い合う 心が作る この世界】
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by neko-dama | 2008-02-20 15:28 | 猫の図書館/美術館