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日々の身繕いでイツノマニカ体内に生成される毛玉のハナシ


by neko-dama
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ラベリング、カテゴライズ。改。

今日の私の思考は、少し長くなります。
お付き合いいただければ幸い。



人は自我からは逃れられない。
さかしまに言えば、人は自我をコントロールする術を身につけねばならない。
でないと、他人をむやみに傷つけ、その結果自らもボロボロに壊れるからだ。

人は、自分基準でしか生きていけない。
絶対的な善も悪も、優しさも、嘆きも、プラスもマイナスも、ポジもネガも、在りはしないのだから。
社会と他者と己との折り合いのつく地点で、自分基準を形成していく。

ゆえにモノの見方、捉え方、ツールの使い方、表現方法、あらゆる道は各自に独特のものだ。

そして、個の中で形成された世界では、万事がカテゴライズされラベリングされている。
その世界はたった一つしかない。
その世界で生きるしかない。
それが、あなたの自我による、自分基準で作り上げた、現在という点
点。
その世界は点である。
点が連なって線となるように、過去の世界は紛れもなくそこに足跡を残し、
未来の世界は定まらず、どこへ向かうとも知れない。

むやみに、自分基準で貼ったラベルを振りかざすと。
時にそれは、暴力にもなる。
例えばちょうど、テロリストがモスリムだったことで、
何の関係もないモスリムまでもが、危険分子ラベルを貼られたように。
モスリム=テロリスト。そんなわけはないのに。
一握りの、目立つ一群が起こした行為に、その集団すべてがラベリングされる。
その他大勢は、そんなこと望んでいない。
悲しいだけ。

ラベリング、カテゴライズ。
それは必要な作業。
それは行動の基盤であり、己の背骨を成すもの。
しかし、ゆめゆめ押し付けてはいけない。
無神経な発言とは、とかく己の世界を過信する故。
忘れてはならない。
そのラベルは、『絶対』ではないということを。

己の世界のみに生きたくば、他者と共有することに意味はないだろう。
でも人は、共鳴したがる。
交錯する世界。
認めたくなくても、もの言う誰もが共鳴を欲している。
いらなければ、黙していればいいのだから。

私は今日もこうして。
ラベリング、カテゴライズ。
変わっていく世界。点が連なる。
今日もこうして。
共鳴を探す。
または、己の世界に変化を与えるなにかを探す。
そして気を引き締める。
本当のことなど、何もわからないと。
この『自分』というフィルターは、死ぬまでついて回る。
結局は世界のすべてが、己の思い込みなのだから。
そうとしか、生きる術はなく。
by neko-dama | 2005-10-03 22:14 | 猫的哲学